#いのちと平和 『 基本的人権の尊重への願い #2 』奥田ふみよ議員が聞く “18歳の時に長崎で被爆” 戦争体験者の声 ナレーション:うじきつよし(ミュージシャン)

長崎市平和公園

ナレーター うじき つよし(Musician)

1945年8月9日。
午前11時2分に投下された原子爆弾。

当時の長崎市の推定人口は、約24万人。
このうち、およそ7万4千人が死亡。重軽傷者は、約7万5千人と言われています。

【築城昭平さん(99)】18歳で被爆

築城昭平さん
「これ、みんな ノーベル平和賞の(写真)。これ総理大臣。」

こちらは 18歳の時に、長崎で被爆した築城昭平さん。資料館のご紹介で、お話をお聞きすることができました。

築城昭平さん
「もちろん 勉強はできないで、軍需工場に行って、兵器をつくっておったんです。」

奥田ふみよ(参議院議員)
「兵器? どんな兵器を?」

築城昭平さん
「私が担当したのは、魚雷。山にトンネルを掘って、トンネルの中に機械を入れて。空襲でやられるから。

8月8日 9日になって、工場から帰って来て寝とった時に、急にバーンって音がして。バリバリって 音だったね。
目が覚めた時に 体が吹っ飛ばされて、壁にぶつかって 目が覚めたんです。

ウロウロしてたら、(友達と)顔と顔が合ったんです。そしたら、真っ赤になってたんです。頭の上から 足の先まで。
“うわぁ お前やられとるぞ”って言ったら、何のことはない 向こうも僕に向かって、”お前もやられとうぞ”って。言われてみると、血が頭から。

この出血の痕ですけど、手から全身 血だらけだったんです。」

奥田ふみよ(参議院議員)
「痛くなかったんですか?」

築城昭平さん
「痛くはなかった。熱いと感じましたけど、その時は分からない。

それで 友達と2人で、”とにかく逃げんと 爆弾が落ちるぞ”って、
あさって 暗い中を、2人で励まし合いながらビューと走って。」

奥田ふみよ(参議院議員)
「どこに行ったんですか? 」

築城昭平さん
「防空壕に行った。」

友達と励まし合いながら、裸足で防空壕に向かった築城さん。
そこで見たものは、今でも忘れられないと言います。

築城昭平さん
「みんな 大やけど。顔も鼻がなかったり、耳がなかったり。」

奥田ふみよ(参議院議員)
「それはもう、鼻も耳も溶けてってことですか?」

築城昭平さん
「そうでしょうね。洋服もボロボロで、地獄に来たと思いましたね。」

奥田ふみよ(参議院議員)
「その方たちって、おいくつの方とかが、大体何歳ぐらいの人とか、女の人とか。」

築城昭平さん
「大体 お年寄りとか、子どもとか、女の人。」

奥田ふみよ(参議院議員)
「そうだよね。みんな男性は兵隊で。」

築城昭平さん
「おそらくね 1ヶ月、いや 1週間以内で、みんな死んでしまったと思います。」

その後、自宅療養で、奇跡的な回復を見せた築城さん。
二十歳の時に、念願の教師に。

そして、平和を伝える語り部へ。
改めて、教育の大切さを知ったと言います。

築城昭平さん
「もう小学校の1年から、いわゆる治安維持法に反しない人間になるようにつくられておったんですね。

政府のすることは 何でも正しいと教えられて、そう思い込んでおった。

“戦争に行って、天皇陛下のために死ぬんだ。” そういう風に教育されて来とったんですね。」

奥田ふみよ(参議院議員)
「そういう教育だったってことですね?」

築城昭平さん
「ということは、戦後 分かった。」

奥田ふみよ(参議院議員)
「戦後 分かった?」

築城昭平さん
「そういう教育をされてきたんだなということが、分かったんです。」

奥田ふみよ(参議院議員)
「それが分かった時って、どういう気持ちでした?

築城昭平さん
「やっぱり 戦争に反対しなきゃいかん時は、反対と言わなきゃいかんなと思ったりしましたね。
戦争はしない、平和な地球をつくるべく、みんな、声を出さなければいけないと思っております。」

築城さんは今年、長年の功績が讃えられ、秋月平和賞を受賞しました。
“いのちある限り、核兵器の怖さ、平和の大切さを伝えたい”と話しています。

奥田ふみよ(参議院議員)
「どうぞ、本当にずっと、お元気でいてくださいね。
また来ます。ありがとうございました。」

奥田ふみよ(参議院議員)
「想像したんですよ。築城さんの目、目の中に、築城さんが見たものが、全部 詰まってて。
それを直に、私は、築城さんの目を見ながら、築城さんの声を聞く。
そのもう 血まみれになった腕や手を、触ったり見ながらして 聞くって、これほど リアルな 生々しい 伝えられ方はないと思いましたね。

だから 本当 私、こんな貴重な機会を、チャンスをいただいて、本当にありがたいと思った。
それは目的は 築城さんと一緒で、私は戦争を体験していないし、その生き地獄も見ていない。

でも、より その近くでね、それを見た、それを聞いた、その当事者を目の前にして聞くことが、

“絶対に戦争はやっちゃいけないんだ”っていうことを、1人でも多くの、私よりも もっと若い人たちに伝えられる、大きなアクションに私、参加できていると思うと、本当にそれは意義深いっていうか、意味があるって本当に思いました。」

福岡県糸島市

事務所にて生配信

奥田ふみよ(参議院議員)
「私は先日ですね、熊本地震があった後、被災地に行きまして。熊本で、八代市議会で議員をしている、いのちの党の仲間のみずた千春市議と、あとは、太宰府の市議会議員の川口ちかまる市議と3人で。

避難所、体育館ですね。何箇所か回ったんですよ。いろんな主権者の方、被災にあって いろんな思いで、そこに避難されている様々な主権者の方と、お話を直接聞かせていただいて。そこで主権者の様々な思いを、叫びをですね。

様々な叫びを要請書に託して、高市早苗総理大臣と内閣府の防災担当大臣に要請した。要請書を出した。
それと同時に、防衛省にも問い合わせました。」

【みずた千春】熊本県八代市議会議員

7月の熊本地震で、地元も大変な被害が出た、みずた市議と意見交換です。

奥田ふみよ(参議院議員)
「みずたさん お忙しい中、ありがとうございます。」

奥田ふみよ(参議院議員)
「避難場所として指定されている、体育館ですよね。体育館、2箇所 回らせてもらって、あの日は。

冷暖房が完備されていたというのが、私は本当にすごく印象的で。

私が住んでいる福岡県糸島市の小中学校の体育館は、冷暖房が完備されていないので、もし 私が住んでいる糸島で同じ規模の地震が起きて、避難した場合、蒸し風呂状態というか、もう熱中症で、多分 バタバタ、また 二次被害 三次被害で犠牲者が出るんだろうなということが容易に想像できるぐらいの、とんでもない暑さじゃないですか。

東京は、ほぼほぼ、もう冷暖房完備されてるんですけども、

田舎に行けば行くほど、地方の小中学校って、多くが完備されていないんですよ。その現実を、やっぱりまず、みんなに知ってほしいし、今すぐ やってほしいと。」

みんなで笑って暮らせる社会を作りたい。
奥田議員の奮闘は続く。

奥田ふみよ(参議院議員)
「被ってね。

皆さん こんばんは 奥田ふみよです。」

次回へ続く

【#1(前回)の投稿はこちら↓】
#いのちと平和 『 基本的人権の尊重への願い #1 』奥田ふみよ議員 長崎人権平和資料館”人権侵害の歴史” ナレーション:うじきつよし(ミュージシャン)


SNSやLINEで、あなたのご家族、お友達などなどに広めてください!